おはようございます。潤治です
以前、学校カウンセラーをしている時に、学校からは問題児と呼ばれる子供たちの学習補助のようなことをしていたことがあります。
授業中にいきなり、教室から飛び出てしまったり、いきなり暴れだしたり…と授業をする側からは扱いにくい子供たちです。
しかし、その子たちは自分の興味のあることに関しては、とても力を発揮します。驚くほど、算数ができたり、漢字の書き取りが秀でていたり…。好きなことだけ、やっていたい…という気持ちをよく訴えていました。この子たちが、おさえつけられて、自分の才能を閉じ込めてしまうときが来てしまうのか…と思うと切なくなりました。
みんなと普通に授業を受けられないことを叱られたりすることで、劣等感や罪悪感が生まれていくのかもしれません…。
こうして、大人になっていくことで、自分の才能を才能と自分自身に認めないために、苦しみ、あきらめていくことが少なくありません。 欠点とか、コンプレックス、○○病、○○症候群という言葉にしてしまって…。
それが才能だということに気づかず…。
うつ病の女の子がいました。
その子は社会的に適応できず、ひきこもり、親にあたり、自分の人生、自分の性格を恨みました。
リストカットした後を隠すために夏でも半そでは着ることはなく、自分を否定し続けました。
その子がある日、相談したカウンセラーの人に言われました。
「それは才能なんだよ。」
「その人の気持ちに敏感すぎるほど、敏感になってしまうことは才能なんだよ。」
「そのリストカットの後を隠すのはやめよう。その傷は君が悩み、苦しんだ勲章なんだから。人の苦しみを君は自分の身体に刻んだんだよ。もう自分を苦しめないでいいのよ。」
その子が少しうつを自分自身に認めだしたときにアルバイトの面接にいくことになりました。
「リストカットの傷を見られたら、きっとアルバイトの面接に落ちちゃうよ。」と彼女。「リストカットの傷を見せて、今まで乗り越えてきたことを静かに伝えるんだよ。『今では、人の気持ちを敏感に察することができるという才能に気付きました。そういう相手の気持ちをわかるサービスを提供できます!』…と言ってごらんよ。」と彼。
無事に彼女はアルバイトの面接に合格して、人の気持ちを敏感に察するという才能を自分に認めました。
その後、人の気持ちを優しく包み込むような、詩や絵を描くようになっていきます…。
与えられたすべてのピースは、人生という大きなジグソーパズルに必要不可欠です。
今は受け取れないようなピースも、後になって、どうしても必要だったものだとわかるときが来ます。
彼女も「うつである不幸な自分」というその時は感じていた、いらないピースが、いつの間にか、「人の気持ちを察するサービスができる自分」というピースだったことに気づきました。
与えられたピースは必要不可欠なものだと信じています。