「自分の人生を生きる」と言いながら…一喜一憂の日々

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
宮古島から戻り、2週間が経ちました。
身体は気候の違いに、心は時間の流れのギャップに、戸惑いながらのこの2週間でした。

ライフパーパス(人生の目的)を日常的に生き、仕事とプライベートという境界線を感じずに過ごしていますが、家族だけに意識が向く日々を宮古島では強制的に作ってもらったように思います。

娘の小葉もただただ童心で遊ぶ両親の姿にあらたな発見があったようです。
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ライフワークはとても楽しいものですが、楽しいことも緩急をつけなければ、
観念による自分自身への呪縛、ストレスフルになるのかもしれないと感じました。
僕の場合は、「やりたい」が酷使、無理、効率重視につながることがよくあります。

宮古島では全く、発信をする気になりませんでしたし、
新しい何かを生みだそうという気力やインスピレーションも働きませんでした。

常々、気づかされる天使のメッセージは、

「頑張らない」
「結果や効率を求めない」
「コントロールしない」
「退屈に浸ること」

というものが大部分を占めました。

暑さのために、好奇心や情熱まで萎えてしまったかのように何もする気が起きませんでした。

そのぶん何かしらの「天界からのダウンロード」をしていたように思いますが。

宮古島を離れ、ようやく聖ヶ丘に戻ってきて、

情熱や好奇心、元々持っている頑張りたい気質が戻ってきました。
自分の状態を追い詰めるものではなく、楽しい気持ちで頑張れるなら、
それは嗜む程度に楽しみたいと思っています。
「頑張ること」が好きなんでしょうね、僕は。
しかし、その案配がとても難しく、実践の日々です。

そして、先日…。

家族でサンリオピューロランドに遊びに行くことになりました。
お目当てのミュージカルがメンバーチェンジのために

その配役での公演が千秋楽を迎えるため、混雑が予想されました。
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ここは、パパが朝から並んで…と気合いを入れて
早朝からサンリオピューロランドに足を運んだのですが、
すでに人がちらほらといました。

入り口に通じる橋には

「徹夜で並ぶことは近隣の方の迷惑になりますので、ご遠慮ください。」
と看板が掲げてあり、その熱狂ぶりが伺えました。

席取りに100人くらいが並んだときでしょうか。

「8時から8時半に来場した人たちは抽選」ということを知らされました。
(前日に公式サイトには告知があったようです。)

早くから並んでいた人たちは面白くないし、

その抽選結果によっては悲鳴やすすり泣く女子の声も聞こえてきました。

並んだ列の10番以内くらいだった僕が引いた順番は「201番」。

早く来ようと来まいと意味がなかった…と天を仰ぎました。

その時に「フランダースの犬」を見せられていたら僕は号泣してしまったでしょう。
いや、「スクールウォーズ」でも、下手したら「毎度お騒がせします」でも。

その無念さを共有する人もいずに、ひとりで思いました。

「頑張るな、頑張ろうともせずとも望むものは得られるからね。」

という天使のメッセージを。

結局のところ、楽しく公演を観ることができたし、

パレードも見て、大満足の1日となりました。

自分の予測を超えたところにある「豊かさ」を信頼する練習なのか、

僕にとっては、一喜一憂の日々です。

襲ってくる怖れを土台にした僕の観念に、

いつでもその信頼する力は無力になることがありますが、
この人生でこの魔法を使いこなしたいと思っています。

過去を振り返り、頑張って手に入れたと思っていたものたちが、

頑張らずとも違う形で手に入っていたとしたら…。
その時、僕はどうすればいいのだろうか?と思います。
過去の自分を否定するような気持ち
誰もが味わいたくないものですから。
ライフパーパス=人生の目的 を実践していく上で
それは、大切な感覚でもあります。
そして、この魔法を使いこなすひとつの条件があると僕は思っています。

それは、「自分の人生を生きること」です。

いつの間にか他人の価値観、期待される人生を生きていることがありますから。

「自分の人生を生きること」

あなた自身は、どのような定義づけがありますか?

普段、生活している時、自分の人生を生きていないなと思う時はありますか?
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