30代前半、僕は人生の岐路に立っていました。

自尊心は跡形もなく崩れ去り、自己信頼は底値安定でした。

未来への不安はその状況を後押しするかのように増幅し、のっぴきならない僕の人生のように感じていました。
何かを変えないといけないのでは?と焦りを感じていました。

そのような時、当時お世話になっていたメンターの方が自己啓発合宿を進めてくれました。
「地獄の特訓」と呼ばれるその合宿に、実費だけで参加することができるとのこと。

多くの人が変化していくと言われる「地獄の特訓」に行けば、僕も変われるのではないだろうか?と思い、申込みをしました。

振り返って思えば、僕の精神状態は「他人任せ」であり、「受動的」で、「お客さま意識」が強かったなと感じます。

ある日、誰かがやってきて、僕の人生を変えてくれる…

そのような人生への姿勢だったことを否めません。Attachment.png

合宿では、いきなり「自己否定」を促すワークを行いました。
「自分の成功を阻んでいるものは何だ?」という問いを何回もされました。

自分のダメだと思っているところを絞り出し、自分を見つめていくわけです。

誤魔化すこと、嘘をつくこと、取り繕うこと、格好をつけることなど、今までの人生でしてきたことを洗いざらい出し、まるでそれらが犯した罪であり、それを償うような氣持ちになりました。

恥ずかしい自分をさらけ出し、それを共有し合い、励まし合い、抱きしめ合う…、本当の仲間たち…という感覚。

自己開示のことを「ダイブ(飛び込み)する」という表現を使うことも自己啓発系のセミナーなどでありますが、まさにそのような背水の陣をしき、必死の覚悟で合宿に臨んでいました。

「さあ、俺たちが見守っているから、正直に告白するんだ!大丈夫!おまえならやれる!」
というような精神状態で、その場には一体感がありました。

さて、その一体感、仲間意識、ワンネスを味わって間もなくして合宿は終わりました。

そして、日常に戻ると僕は単なる「自身喪失した」「価値のない」男でした。

そのことを認めたくないために、その合宿での自分や「本当の仲間たち」をよりどころにしていましたが、日常生活での精神状態はぼんやりとして躁鬱感たっぷりでした。

そのやりきれない感覚、自己肯定感を求めて、その合宿で出会った「本当の仲間たち」のもとに足を運びたくなりましたが、今思えばありがたいことに金銭的にそれは不可能であったわけです

ただ、ゆっくりと麻疹に罹患したような自分を見守ることしかできませんでした。
バラバラに散らかった心はなかなか修復するには時間がかかりました。
Attachment_1.png

たしかに今の自分を知るために「未知の扉」を開こうとするのはとても大切なものだと思います。

しかしながら、それは合宿に行かずとも、日常生活で行うことは可能だと今では思います。

自分を境地に立たさなくても、能動的に人生を変える行動をとることは可能です。

  • 近所の人に出会ったら、自分から挨拶をして世辞を言う
  • 電車の中などの公共の場で率先して困っている人に声をかける
  • 両親や兄弟とのわだかまりは進んで解消する、自分から悪くなくても謝る
  • 先延ばしにしていた「やりたいこと」に今すぐ取り掛かる
  • 後回しにしていた掃除や雑務をする
  • 好きな人に好きという気持ちや感謝を伝える
  • 何もない時間(瞑想や散歩に使えるような時間)を、自分で創り出す

などなど、自分から能動的に人生に働きかけることは日常生活の些細なシーンで可能です。

つい、テレビを見る、仕事に追われる、忙しい・意味のあるなしを理由にする、周りの評価を気にする、などを自分の面倒くささを正当化するために使うことはあるかもしれません。

そうして溜まりに溜まった「自ら育んだ停滞感」や反転しての「焦燥感」を一気に払拭するために、合宿に行くこともあるでしょうか。

僕はそうでした。

日常生活でのダイブに慣れると、コストパフォーマンスが良くなるように思います。

発散することも、背水の陣をしくことも、浪費することも、現実逃避することもないのですから。

自分の中を整理して癒すこと、で人生の姿勢は確実に変わっていきます。

スピリチュアルカウンセリングやスピリチュアルコーチングはその変化を静かに感じさせるものです。

未知の扉は、日常の中にいくらでもあります。ナビゲーションはAQUAMIXTまで♡

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