年末年始、どこに行っても人だらけで辟易してしまった人も少なくないのではないでしょうか。

さまざまな人が自分の価値観や人生のストーリーをその言動で表現しています。

  • 列に並んでいるのに、横入りする人(そもそも列を氣にしない人)
  • とぼけて、他人が主張してこなければそのまましらばっくれようとする人
  • 電車の中で荷物で席を占領する人
  • 満員電車でリュックサックをそのまま後ろで背負い続ける人
  • 電車の中でイヤホンから音が漏れている人
  • お店で明らかに騒音を発生させている家族
  • 車で他者を煽り、車自体に怒りのオーラを宿す輩

まさにお正月や連休時だからこそ、出逢うかもしれない人たちと出会うチャンスがあります。「え?こんなことを普通の感覚でできる?する?信じられない!!」という人たち。

そういう人たちに出逢ったら、あなたはどう思いますか?

正義感から糾弾したくなりますか?ジャッジメントをしてラベルを彼らに貼りますか?それとも、反面教師として糧にしますか?自分とは違う人種だと思ってやり過ごしますか?

テレビやメディアでも信じられない人は報じられています。事件を起こすような人たちすらいますから、自分とは全く違う世界の人と思うには難しくはないでしょうか。

通常の生活で迷惑とされる人たちに出逢うと僕はとてもありがたいなと思います。

「その役割を引き受けてくれてありがとう。納得のいかないカードが配られているのに、そのままゲームを続けてくれてありがとう。自ら恥ずかしい心理的表出を引き受けてくれてありがとう。その環境、状況に僕がいたら、やはり同じことをしていただろうし、僕が引き受けないと決めているものをあなたは引き受けてくれているのね、本当にありがとう!」

ちょっと話は飛ぶように思えますが、マヤの挨拶に、「インラケシュ」というのがあります。「私は、もうひとりのあなたです。」という意味です。

非常識、マナー違反、迷惑をかける人たちを見ながら、その役を引き受けて、僕はどちらかというと自分の本意に従う役をもらっているなぁ、ありがたいなぁと思うわけです。僕自身が彼らの善性を表現するところになるのか、彼らが僕の性悪な部分を引き受けてくれているのか、厳密な境目は窺い知れないところですが、この「インラケッシュ」という感覚は、世界の見方が変わるものです。

ですから、そういう人たちに注意をする時も、
(注意なんていう感覚はおこがましいのですが)
心で「引き受けてくれてありがとう。」と思いながら、話しかけます。

  • 「すみません、ちょっと良いですか?ほんのちょっとなんですけど、音量下げてもらっても良いですか?」
  • 「お願いしても良いですか?おばあちゃんを座らせてあげたいと思うんですけど、ちょっと荷物をずらしてもらっても良いですかねぇ?」
  • 「あ、ごめんなさい!僕が並んでいるの分かりづらかったですよね。ごめんなさいごめんなさい。結構、並んでいるみたいですよ。」

正義感から他人をジャッジメントして、「こういう人たち」だとラベルを貼って同じように伝えてみると、あきらかに相手の反応は迎撃態勢になります。

「オレを責めないでいてくれるよね?」と言いながら、わざわざ責められるようなことを世界に発信する人たちをこれ以上、責める必要はないと僕自身は思います。

「どうせ、あんたもオレを責めるんだろう?ほらね。足を広げて座席を占領しているオレなんて、どうせ、あんたも他の輩と同じでレッテルを貼ってオレを悪者にするんだろう?ほら、注意して見ろよ!上から!上からぁぁぁぁ!!」

そのような彼らに何を言う必要があるでしょうか?

「あなたは悪くない、僕がその役を引き受けていたかもしれないんだもの。本当に、ありがとうね。」と思いながらのコミュニケーションはいつも滑らかです。

ワンネスゥゥゥ~!と言いながら、他者を排除し、ジャッジメントをこよなく愛す世のハイド氏に鎮魂歌を…w。

https://i2.wp.com/aqua-mixt.com/blog/wp-content/uploads/2017/01/13b66f77d85f2e9cffec490844ac4f61_s.jpg?fit=640%2C427https://i2.wp.com/aqua-mixt.com/blog/wp-content/uploads/2017/01/13b66f77d85f2e9cffec490844ac4f61_s.jpg?resize=150%2C150水本 潤治ハッピーライフ年末年始、どこに行っても人だらけで辟易してしまった人も少なくないのではないでしょうか。 さまざまな人が自分の価値観や人生のストーリーをその言動で表現しています。 列に並んでいるのに、横入りする人(そもそも列を氣にしない人) とぼけて、他人が主張してこなければそのまましらばっくれようとする人 電車の中で荷物で席を占領する人 満員電車でリュックサックをそのまま後ろで背負い続ける人 電車の中でイヤホンから音が漏れている人 お店で明らかに騒音を発生させている家族 車で他者を煽り、車自体に怒りのオーラを宿す輩 まさにお正月や連休時だからこそ、出逢うかもしれない人たちと出会うチャンスがあります。「え?こんなことを普通の感覚でできる?する?信じられない!!」という人たち。 そういう人たちに出逢ったら、あなたはどう思いますか? 正義感から糾弾したくなりますか?ジャッジメントをしてラベルを彼らに貼りますか?それとも、反面教師として糧にしますか?自分とは違う人種だと思ってやり過ごしますか? テレビやメディアでも信じられない人は報じられています。事件を起こすような人たちすらいますから、自分とは全く違う世界の人と思うには難しくはないでしょうか。 通常の生活で迷惑とされる人たちに出逢うと僕はとてもありがたいなと思います。 「その役割を引き受けてくれてありがとう。納得のいかないカードが配られているのに、そのままゲームを続けてくれてありがとう。自ら恥ずかしい心理的表出を引き受けてくれてありがとう。その環境、状況に僕がいたら、やはり同じことをしていただろうし、僕が引き受けないと決めているものをあなたは引き受けてくれているのね、本当にありがとう!」 ちょっと話は飛ぶように思えますが、マヤの挨拶に、「インラケシュ」というのがあります。「私は、もうひとりのあなたです。」という意味です。 非常識、マナー違反、迷惑をかける人たちを見ながら、その役を引き受けて、僕はどちらかというと自分の本意に従う役をもらっているなぁ、ありがたいなぁと思うわけです。僕自身が彼らの善性を表現するところになるのか、彼らが僕の性悪な部分を引き受けてくれているのか、厳密な境目は窺い知れないところですが、この「インラケッシュ」という感覚は、世界の見方が変わるものです。 ですから、そういう人たちに注意をする時も、 (注意なんていう感覚はおこがましいのですが) 心で「引き受けてくれてありがとう。」と思いながら、話しかけます。 「すみません、ちょっと良いですか?ほんのちょっとなんですけど、音量下げてもらっても良いですか?」 「お願いしても良いですか?おばあちゃんを座らせてあげたいと思うんですけど、ちょっと荷物をずらしてもらっても良いですかねぇ?」 「あ、ごめんなさい!僕が並んでいるの分かりづらかったですよね。ごめんなさいごめんなさい。結構、並んでいるみたいですよ。」 正義感から他人をジャッジメントして、「こういう人たち」だとラベルを貼って同じように伝えてみると、あきらかに相手の反応は迎撃態勢になります。 「オレを責めないでいてくれるよね?」と言いながら、わざわざ責められるようなことを世界に発信する人たちをこれ以上、責める必要はないと僕自身は思います。 「どうせ、あんたもオレを責めるんだろう?ほらね。足を広げて座席を占領しているオレなんて、どうせ、あんたも他の輩と同じでレッテルを貼ってオレを悪者にするんだろう?ほら、注意して見ろよ!上から!上からぁぁぁぁ!!」 そのような彼らに何を言う必要があるでしょうか? 「あなたは悪くない、僕がその役を引き受けていたかもしれないんだもの。本当に、ありがとうね。」と思いながらのコミュニケーションはいつも滑らかです。 ワンネスゥゥゥ~!と言いながら、他者を排除し、ジャッジメントをこよなく愛す世のハイド氏に鎮魂歌を…w。読むだけで奇跡が起きやすくなる?!Web Magazineとして進化中