寛子のアビュース・ホールド・モニターセッションが人気です。
アビュースとは、虐待という意味です。

Abuse Hold アビュース・ホールド~虐待からの解放個人セッション
すでにモニター枠は受付終了しました。

僕もモニターとして、9月1日(木)新月の日に個人セッションを受けます。
本当、夫婦間でセッションし合えるのは、資産価値高いです。

さて、虐待という言葉から、どのようなイメージ、湧き出す感情がありますか?

それとも、味わうことから避けたくなるような氣持ちになりますか?
思考停止状態になることもあるかもしれません。f07fed33f445de3d8613a207d6536691_s

なぜなら、受け入れたくないが受け入れてきたことからかもしれません。

歴史的にもね。

日本という国を見た場合、その日本のあり方、傾向はそのまま僕たち個人個人に相似していくと思います。

日本人ですからね。
格好良く言えば、「フラクタルに作用していく」わけしぃ!

例えば、日本はアメリカの隷属国という視点もあります。

戦後からのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)はアメリカから日本への「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」であり、そのことに氣づかないまま、僕たちは価値観のひとつとして受け入れているかもしれません。
よくお勉強したわけです。

自虐史観は当然の成り行きで僕たちを苦しめているろうし、それを感じないために歴史や政治を見て見ぬフリをすることもあるかもしれません。ae99042c6243c623c79f59262c6b59c5_s

日米地位協定では日本は主権を手放しているし、ドイツやイタリアのように主権を持ち、米軍を管理していません。例えば、米軍機の事故があれば、現場は治外法権になりますし、米兵が日本人と交通事故を起こせば、公務中ということで裁判権が日本にはありません。

差別を受け容れ、自国を虐げていると言えます。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はアメリカが日本市場からの収奪を狙う協定という一面を持ちながら、国益があるかのように受け容れてしまっていると僕自身は思います

これもアメリカの言いなりという感じでしょうか。

アメリカから持ち込まれたものは、さも素晴らしいという感覚は日常生活にもあります。

僕自身の周りで言えば、海外からのスピリチュアルリーダーということで盲信してしまう傾向があるように、僕の偏見では思います。

英語で喋って、通訳されていることを聴いていると「何をあたりまえのことを…。」と思っている自分もいます。英語で言っているとそれらしく聞こえてしまうあたり、耳まで隷属化しています。

そして、僕自身、高校生の頃、アメリカの国旗のバンダナを頭に巻いていたし、興味も無いのに洋楽聴いているとモテると思い、ハミングしながら聞いていました。

アメリカ的なものに憧れ、アメリカの映画通を氣取ったこともありました。
アメリカのことならオレに訊いて的な、アメリカ発というと憧れ、日本よりもアメリカのほうがイケてる、といった僕でした。

トム・クルーズに憧れ、彫りの深い顔になりたがり(おかげさまで今ではトム・クルーズ似の潤治と言われるようになりましたが…)、ハンバーガーを食べることがカッコイイと思い、アメリカ発祥のジーパンを吐き散らし、英語で書かれているものは何でも意味分からずカッコイイと思っていました。

自分で歌詞を考える時は、「ベイビー」という単語を必ず入れていたし、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」をカラオケで歌うときは、「つまらないものぉ~♪」とノリノリで間違った歌詞で歌っていましたし、C-C-Bの歌う「空想Kiss」では、「Baby、どっちかに!」を「Baby、 Don’t come ME!」とシドニー・シェルダンの本顔負けの超訳していました。

言論では、人を威圧するために、カタカナ英語を取り入れ、それらしく見せる虚栄心もあります。
「そのあたり、フレキシブル(柔軟な)に対応しちゃう感じぃ~?」

まるで、パワハラを受けつつ、いつでも男の言う通りに身体をあずけてさせちゃう都合のいいヤツなのにその男をめっちゃ褒めているイタイヤツという感じでしょうか。キャッ!オレさま、奴隷氣質!

自分には奴隷氣質はない!と僕自身言い切りたいですが、国の姿がそのようであるということは、それを創りしている個人のありようの相似形かと僕自身は思います。

世界が癒されていないなら、個人レベルのありようも癒される伸び代、成長する可能性があるということと言えるでしょうか。

隷属国である日本のありようが、僕たちひとりひとりのありようかと僕は思います。

その虐待を個人から見つめて、手放していくことは、新しい国を産み出す作業につながると感じます。(大げさですか?

「虐待」は自分のものであり、自分ひとりの問題ではありません。
周りの家族への影響や他人とのコミュニケーションスタイルに始まり、国レベルに影響を与えると僕自身は思います。

そのような視点も持って、「虐待」を考えてみるのも思考の拡大や理解を助けるものになるかもしれません。

https://i1.wp.com/aqua-mixt.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/ae99042c6243c623c79f59262c6b59c5_s.jpg?fit=640%2C427https://i1.wp.com/aqua-mixt.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/ae99042c6243c623c79f59262c6b59c5_s.jpg?resize=150%2C150水本 潤治アクセス・コンシャスネス®ハッピーライフ虐待からの解放寛子のアビュース・ホールド・モニターセッションが人気です。 アビュースとは、虐待という意味です。 →Abuse Hold アビュース・ホールド~虐待からの解放個人セッション すでにモニター枠は受付終了しました。 僕もモニターとして、9月1日(木)新月の日に個人セッションを受けます。 本当、夫婦間でセッションし合えるのは、資産価値高いです。 さて、虐待という言葉から、どのようなイメージ、湧き出す感情がありますか? それとも、味わうことから避けたくなるような氣持ちになりますか? 思考停止状態になることもあるかもしれません。 なぜなら、受け入れたくないが受け入れてきたことだからかもしれません。 歴史的にもね。 日本という国を見た場合、その日本のあり方、傾向はそのまま僕たち個人個人に相似していくと思います。 日本人ですからね。 格好良く言えば、「フラクタルに作用していく」わけだしぃ! 例えば、日本はアメリカの隷属国という視点もあります。 戦後からのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)はアメリカから日本への「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」であり、そのことに氣づかないまま、僕たちは価値観のひとつとして受け入れているかもしれません。 よくお勉強したわけです。 自虐史観は当然の成り行きで僕たちを苦しめているだろうし、それを感じないために歴史や政治を見て見ぬフリをすることもあるかもしれません。 日米地位協定では日本は主権を手放しているし、ドイツやイタリアのように主権を持ち、米軍を管理していません。例えば、米軍機の事故があれば、現場は治外法権になりますし、米兵が日本人と交通事故を起こせば、公務中ということで裁判権が日本にはありません。 差別を受け容れ、自国を虐げていると言えます。 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はアメリカが日本市場からの収奪を狙う協定という一面を持ちながら、国益があるかのように受け容れてしまっていると僕自身は思います。 これもアメリカの言いなりという感じでしょうか。 アメリカから持ち込まれたものは、さも素晴らしいという感覚は日常生活にもあります。 僕自身の周りで言えば、海外からのスピリチュアルリーダーということで盲信してしまう傾向があるように、僕の偏見では思います。 英語で喋って、通訳されていることを聴いていると「何をあたりまえのことを…。」と思っている自分もいます。英語で言っているとそれらしく聞こえてしまうあたり、耳まで隷属化しています。 そして、僕自身、高校生の頃、アメリカの国旗のバンダナを頭に巻いていたし、興味も無いのに洋楽聴いているとモテると思い、ハミングしながら聞いていました。 アメリカ的なものに憧れ、アメリカの映画通を氣取ったこともありました。 アメリカのことならオレに訊いて的な、アメリカ発というと憧れ、日本よりもアメリカのほうがイケてる、といった僕でした。 トム・クルーズに憧れ、彫りの深い顔になりたがり(おかげさまで今ではトム・クルーズ似の潤治と言われるようになりましたが…)、ハンバーガーを食べることがカッコイイと思い、アメリカ発祥のジーパンを吐き散らし、英語で書かれているものは何でも意味分からずカッコイイと思っていました。 自分で歌詞を考える時は、「ベイビー」という単語を必ず入れていたし、Mr.Childrenの「Tomorrow never knows」をカラオケで歌うときは、「つまらないものぉ~♪」とノリノリで間違った歌詞で歌っていましたし、C-C-Bの歌う「空想Kiss」では、「Baby、どっちかに!」を「Baby、 Don't come ME!」とシドニー・シェルダンの本顔負けの超訳していました。 言論では、人を威圧するために、カタカナ英語を取り入れ、それらしく見せる虚栄心もあります。 「そのあたり、フレキシブル(柔軟な)に対応しちゃう感じぃ~?」 まるで、パワハラを受けつつ、いつでも男の言う通りに身体をあずけてさせちゃう都合のいいヤツなのにその男をめっちゃ褒めているイタイヤツという感じでしょうか。キャッ!オレさま、奴隷氣質! 自分には奴隷氣質はない!と僕自身言い切りたいですが、国の姿がそのようであるということは、それを創りだしている個人のありようの相似形かと僕自身は思います。 世界が癒されていないなら、個人レベルのありようも癒される伸び代、成長する可能性があるということと言えるでしょうか。 隷属国である日本のありようが、僕たちひとりひとりのありようかと僕は思います。 その虐待を個人から見つめて、手放していくことは、新しい国を産み出す作業につながると感じます。(大げさですか?) 「虐待」は自分のものであり、自分ひとりの問題ではありません。 周りの家族への影響や他人とのコミュニケーションスタイルに始まり、国レベルに影響を与えると僕自身は思います。 そのような視点も持って、「虐待」を考えてみるのも思考の拡大や理解を助けるものになるかもしれません。読むだけで奇跡が起きやすくなる?!Web Magazineとして進化中